正しい人 6月 : 小栢 健太のピエトロ・ロッカサルバ

6月
小栢 健太 ピエトロ・ロッカサルバ
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Pietro Roccasalva
born in 1970, Madica, Italy.  Lives and works in Milan.




 








"The paintings are the microchips, the processors; the "situazione d'opera" is the range of action of a painting as an "intelligent artifice" or simulacrum." (1)

"History is only an illusion    of perspective." (2)

"I believe that the only chance for painting is to recuperate its power of  simulacrum." (3)

"Painting is the immobile residue of development that traverses the other languages in a "backward" process of stages, from the more fluid to the more crystallized. " (4)

"A feature of this initial stage of my work is to let the work site open. The viewer is an intruder, and only if he lets himself be ravished, can he enter this process." (5)




勝手にもピエトロ・ロッカサルバの言葉に僕の声を交えた超訳をしてみる。
「集積回路や処理機器という機能が絵画だと同列的にみる。すると、絵画が作動する場は高性能な策略や幻影を運動させる領域体として現れる。」 (1)
「歴史とは遠近感のある唯一のイリュージョンとして見る必要性がある。」 (2) 

つまり、何らかの圧縮が書込まれているので、深さを錯視させてしまうのだ。
「僕らの時代の絵画がきちんと機能を果たすには、シュミラークルの力を回復するほかにはありえないと憶う。」 (3)
プロセスが作動すると、フォトショップによる操作の断片も、絵筆による描画の筆跡もタブロー体に堆積する。その制作の根幹には、いうまでもなくコラージュがある。
「より流動的な状態から、より結晶化している固定的な状態へと踏み入ると、複数の言語圏を往来することになる。プロセスを通って大きくなる全体の静的な部分、つまり物理的な残余やカスみたいなものが、タブロー化している状態のものだ。」 (4)

 歴史的で定位的なものを揉みほぐしていって、いく通りもの側面を見いだしていく論法には、始まりが常に固定化された状態に設定されるという無理がある。一方、流動から結晶の状態へと遡及する、美術史的に見て遡っていく視座へと考えを入れ替えてみると素直に現在が見える。結晶までのプロセス中に析出するカスは、やがて表層上に堆積して、幸運にも時間や様式がイリュージョンされることすらおこす。
「僕の作品にはステージがあって、最初のステップの特徴は、開かれたままにされていることでしょう。鑑賞者は場からすれば乱入者や侵入者です。しかし、もし彼らが自分のすべてを奪われてもよいのであれば、その限りにおいてこのプロセスに自身を登録できるのです。」 (5)


映画「Four Rooms」で俳優ティム・ロスが演じるベルボーイを始点にすえて、キュビズムやフランシス・ベーコンへと剽窃してみせたり。サッカーのレフェリーに扮したキュレーターとその双子の兄弟に父親が加わる三人が、球体の揚げごはんを囲んだりもする。壁をグレーで塗り込む美女や爪の長い幼児、紅色の塗料を吹き付け合う甲冑の騎士。レモン絞り器状のドームを持つカテドラルのアニメーション、祭事的なコスチュームを着る鶏、巨大な偽物の巨峰。オウム柄にペイントされたフクロウの剥製を覗き穴から観たりする。ひとときロッカサルバの仕事の求心性に強奪されてみる。

そういえば、4年前に訪れたバリ島のとある寺院で、乾いた滝壺に放り出される巨大な砂岩彫刻を見た。それは、未完のまま場に投げ出されている。後にそこから運びされて、建築の一部にいずれ収まるはずだ。けれどなんらかの理由で制作を放棄せざるをえなかった、僕はそう考えた。でも、もう一度考えを整理する。周りを能く能く見渡しても、その大きな断片は動かしようがない。つまり、移動のルートがないのだ。そうか、移動を前提としていないのだ。だから、僕はヒンドゥーの天井から落下する「建築の寓意」が仕掛けられたんだな、そう高をくくった。ロッカサルバのテキストを書きながらいま思い返す。もしかして僕がその場で奪われたものは、ここを知るために用意した僕の思考の方だったのではないか。


(1)-(3):雑誌 frieze | March 2010 | 『 Through the Looking Glass』から引用、和文は筆者超訳。
(4)-(5):作品集『Pietro Roccasalva』JRP | Ringier 2007 から引用、和文は筆者超訳。






テキスト:小栢健太|アーティスト